私のお話①

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今回は、私自身のお話

私は、物心がついた頃には何かを描いていました。

チラシの裏が白い紙、包装紙の裏、どんな紙でもお絵描きしていました。

40過ぎた今でも、覚えている。

紙を見つけて何を描こうか考えるだけでも楽しかった。

虚弱体質だった私は、高熱で寝込み、よく幼稚園や小学校を休んでいました。

少し食欲や元気が出てくると、やっぱり何か描いていました。

中学3年生で進路を考えていた時、美術の先生に進められたのが『美術科』のある私立高校でした。

『美術科』の存在を知った私は、迷う事無く推薦受験。

勉強があまり好きではなかった子供時代は、『美術』のおかげで楽しい学校生活が送れました(#^^#)

そのまま同短期大学『生活芸術科』なる学科へ進学。

選択授業では、高校も短大も『日本画』を専攻していました。

短大卒展に向けて制作中の年末に、物足りなさを感じた私は

冬休みを利用して、東京にある『武蔵野美術学園』のデッサン冬期講習に1週間参加しました。

(『武蔵野美術学園』は2018年に校舎の老朽化の為廃校となりました(T_T))

初めて本気でデッサンをしました。

描けなくて、悔しくて、涙が流れて・・・

泣きながら描いているうちに、前の日に描けなかったデッサンが次の日に描けるようになり、今まで感じた事が無い様な集中の中で高揚感に包まれました。 ゾーンに入るってやつですね。

本気で描くってこんなに楽しいんだ(;’∀’)☆を知った二十歳の冬(笑)

短大を卒業したら、普通に社会に出て、趣味で日本画描こうかなぁ 位に思っていた私の頭の隅に芽生えた

もっと描きたい、本物に触れたい、日本画を深く知りたい・・・

でも、その頃は私が家事をしていたので(離婚で父子家庭)実家を出る事は出来ないと思っていました。

冬期講習から実家に戻ってすぐの事、右目が霞む様になり、一週間もしないうちに全く見えなくなりました。

1月1日、兄に連れられ急遽眼科病院へ

病名『視神経炎』

文字通り、視神経に炎症がおきる病気。結構珍しい病気です。

即入院。検査や注射や点滴漬けで、約3ヶ月間入院しました(-_-;)

ステロイドのせいで、かなりのムーンフェイス🌝

現在は再発もなく、両目とも見えております。

病院から短大へ通い、卒制もなんとか仕上げ、無事短大は卒業出来ました(^O^)/

そう、3ヶ月入院していた間も、実家はちゃんと生活出来ていた・・・。

私がいなくても大丈夫なんだ~(*‘∀‘)♪

それに気付いてしまった私は、速攻で『武蔵野美術学園』日本画科に入学(正確には2年次編入)

実家を出て、とうとう上京してしまいました。

冬期講習に行かなかったら、入院していなかったら、今のこの生活は違っていたと思います。

話が長くなってしまったので、今回は上京する所まで(笑)

長話にお付き合い頂きありがとうございました<m(__)m>

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