前回までのお話はコチラから☟
病院で『間質性肺炎』と診断された時
聞いた事のない病名の為、ネットで調べまくりました。
ネットに書いてあったのは『難治性』だとか『余命』だとか『予後が悪い』だとか怖い事ばかり・・・
死の恐怖を実感し、物凄く泣きました。
まだ、Jr.を一人遺して死にたくない。
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人は必ず死ぬ。
分かっていた筈なのに
いざ、死が目の前に見えた時、めちゃくちゃ怖かった。
子供の頃、病弱だった私は、大人になれないかもしれないと思っていました。
のちに母にその事を話すと、母もそう思っていたと。
その頃の死への恐怖とは比べものにならない。
死の恐怖は、大切なもの・守りたいものの大きさに比例するのかな・・・。
今迄の人生に後悔はしていない、でも
まだ死にたくない。
血液検査やレントゲンを何度も受けて、少しずつ回復していくのは、とてもとても嬉しかった。
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闘病中、Jr.は美術大学受験の為、高校3年生の半ばから美術予備校に通い始めました。
しかし、一般的には美大を受けるには3年生になってすぐか、それよりも前から予備校へ行きます。
美大に合格するには、描けて当たり前のスキルが要ります。
描けて当たり前レベルになる為、殆どの人は予備校に通うのです。
Jr.は部活を辞めたくなかったので、予備校通いが遅くなりました。
それまで、デッサンなどした事もなかったJr.
一生懸命デッサンや平面構成等の課題をこなしましたが、結果は残念でした。
でも、その頑張っている姿を見て、私は自分の若かりし頃を思い出していきました。
私も描きたい。
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病気になる前は
定年後に、第2の人生として
小さな教室でも開いて、のんびり描けたらいいな・・・
くらいに思っていました。
でも、平均寿命まで自分が元気に生きているとは限らない事を強く実感した時
私は、私の生きる意味を考えました。
生きる意味?
Jr.との生活を維持する事、守る事は一番大切な事。
だけど、私が私の道を歩く姿をJr.に見せる事
そして、少しでも誰かの心を癒す事が出来たら、なんて素晴らしい人生になるだろう・・・
と、考え方が変わっていきました。
人生の半ばを過ぎてからでも、夢を叶える為に日々努力する。
Jr.に残せるのは、そんな生きる姿勢を見せる事ではないだろうか。
クリエイティブな世界に行こうとしているJr.にしてあげられる事は、母の生き様を見せる事だと思いました。
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今はまだ、兼業絵描きですが
Jr.と絵の話をしたり、一緒に画材屋に行ったり、美術館に行ったりする事がとても幸せです。
平日は仕事、休みの日に絵を描く様になり、体は時々悲鳴を上げていますが(笑)、心は充実しています。
あまり無理はせずに、継続する為に努力していこうと思っています。
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この『私のお話』は
私自身がこれからも初心を忘れない為
Jr.に、母がどの様にして今まで生きてきたのかを残す為に書きました。
子供の頃からを書いていくうちに、楽しかった事、苦しかった事を色々思い出しました。
私は生きている。
これからも、Jr.を愛し、支えあいながら生きていく
後悔しない人生を。
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長い長いお話にお付き合い頂きありがとうございました<m(__)m>
これからも宜しくお願いします(^^)
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